東京五輪2020では、マラソン競技は札幌に場所を移すプランが急上昇してきた。
 
 過去の例をみて、会場が札幌でも、仮に五輪をキャンセルしても、東京都民が負債を背負う可能性が高い。
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 1972年のモントリオール五輪がその一例となるだろう。ルーマニアの白い妖精、ナディア・コマネチが女子体操で沸いた。
 あのときなぜ財政破綻したのか。
 理由は明快、支出が多すぎた。
 五輪の後、モントリオール市では固定資産税などが値上がり、赤字を清算するのに30年もかかってしまった。
 モントリオール五輪は不運が重なった。
 オイルショックで物価は高騰。前回のミュンヘン大会でパレスチナゲリラのテロ。
 
 少し今の東京の状況に似ている。

 招致の主役だったジャン・ドラポー(Jean Drapeau)市長は当初、「税金は投入せず、大会開催による収入でまかなえる」と公言した。

 にもかかわらず、メーンスタジアムと屋内競技場を含むオリンピック・パークと選手村の建設に、9憶8700万ドルを投入。
 ドラポー市長は斬新かつ華美な建築物がお好みだった。これは1964年の東京五輪の17倍にあたる建築費にあたる。
 
 市長から依頼されたフランス人の設計家は、予算についてはまったく制限をうけなかった。
 開閉式の屋根をもつ野外スタジアムをあれこれ試み、途中で労働者たちのストライキがあり、人件費はかさみ、突貫工事になった。
 これは後に大リーグのモントリオール・エクスポズの本拠地となるが、それも今はワシントンへ去った。
 
 さらに市長は選手村として、フランスで見てきたピラミッドのような形の建物を希望した。これがてっぺんだけが21階建てで、900万ドルもかかった。is (1)
 
 ドラポー市長にはピーター・ユベロスと違って、スポーツビジネスの人脈がなかった。万博と同じように運営するつもりだった。
 父親のジョセフ・ナポレオン・ドレポーはモントリオールの不動産業者であり、保険のブローカーだった。
 息子はモントリオールで大学で法律を学び、人前でスピーチするのがうまく、討論会の会長をつとめた。弁護士として活動した後、38歳のときモントリオール市長選で勝利。
 外務省出身のロジェ・ルッソーを組織委員長に就任させた。このルッサーが官僚的で、釣りや休暇が長く、IOCのキラニン会長をいらだたせた。

 とはいえ、モントリオール五輪は新しい商業的な試みが当たり、高い収入を得ている。
 いちばんの収益はオリンピック宝くじで、2憶3500万ドル、二番目は記念硬貨と切手で1憶1599万ドル、3番目がテレビの放映料で3200万ドル。
 その方もろもろをあわせて、入場料の2700万ドルをあげて、4億3000万ドル。
 
 その一方で、9憶9千万ドルの赤字をだし、モントリオール市がそのうちの2憶ドルを負担。
 残りは連邦政府の宝くじと、ケベック州のたばこ税が増税され、赤字が完済されたのは2006年11月だった。
 
 たしかにミュンヘン五輪のテロが世界にあたえたショックは大きく、1976年の開催地コロラド州のデンバーは、1972年11月に住民投票を行い、開催権を返上してしまった。
 
 これが戦後、最初で最後の五輪開催地返上になった。
 
 不幸なことに、東京五輪は来年開催とあっては、返上は現実的に不可能だ。
 NBCテレビや各国のスポーツエージェントたちが損害賠償で訴えてきたら、契約をかわしているのだから、まず勝ち目はない。
 
 今ここで東京がキャンセルしたら、入場料はパーになる。そして、モントリオール五輪以上の借金を都民は背負う。
  
 ドラポー市長は批判され、次の選挙にはでなかった。
 今でも彼の名前を残すジャン・ドラポー公園は風光明媚、サンテレーヌ島とノートルダム島の2つの島を有する。カジノやテーマ パークがあり、F1グランプリでにぎわう。
 
 この夏にはポケモンGOのイベントも行われた。